Twitterまとめ投稿 2019/07/31
wataitakeharu国際サッカー連盟(FIFA)による、「イラクでの国際試合公式戦禁止措置」が解除されて初の大会(西アジア選手権)が、イラク中部のカルバラ・スタジアムで開催。オープニング・セレモニーが美しい。 https://t.co/j9YI2Wja4007/31 04:35 wataitakeharuhttps://t.co/qymv8KRIHb(本文以下、一部差し替え)この記事で、石田奈央美さんがどんな人だったのか、その一端を知る。「亡くなった35人の1人の…」「亡くなった色彩担当の方…」では足りない、「この人が」「こんな方… https://t.co/kSM1rIxx2T07/31 02:41
Twitterまとめ投稿 2019/07/30
wataitakeharuこの記事の見出しとして、「話題」という言葉が使われていることに違和感。英文では「went viral」が使われているが、「世界中に急速に広がる」ではないか。単に言葉の翻訳の意味ではなく、危機的状況を伝える側の意識の問題。 https://t.co/QY7rUXobzt07/30 02:53 wataitakeharu≪いま放送中、目が離せない番組!≫ノーナレ「川崎サウスサイドラップ」 - NHK ナレーションのないドキュメンタリー▼川崎市南部、人呼んで「ジャパニーズ・ラップの聖地」▼自分の境遇をラップにこめる若者たち▼親の離婚・生活保護・多様… https://t.co/Ud67JC36zt07/29 22:57 wataitakeharu相模原殺傷事件から3年。3年前の夏、自分は何を見ていたのか、何を見ようとしなかったか。あれから3年の間に、「生産性がない」「一人で死ね」という言葉が、政治家やテレビから飛び出す社会に。一方、重度障害をもつ人が議員に。写真は当時書い… https://t.co/eojB4YFdQe07/29 20:12
Twitterまとめ投稿 2019/07/28
wataitakeharu事件や事故での被害者の実名報道。ここに原則的な考え方が記されている(06年/日本新聞協会)。しかし、いま直面している京都アニメ放火事件で、なぜ実名報道は必要なのか(あるいは、必要でないか)を、それぞれのメディアが説明しなければなら… https://t.co/ls2K9uFwoW07/28 02:40 wataitakeharu映画『新聞記者』。内閣情報調査室の多田(田中哲司)の表情・言葉・態度が、何よりも誰よりも嫌らしく“光る”。「眼を黒く塗りつぶされた羊」イラストは誰を意味するか、何をイメージしているか…。多田も羊も、すぐそこに流れている。だが、主人公の杉原と吉岡のような想いが、そこを逆流できる。07/28 01:17 wataitakeharu「重たいテーマ、重たい物語かな…」「福祉や障害を描いた作品は難しそう…」、様々な想像や先入観ばかりが先行して、観るまでの壁が高かったが……打ち破られた。まずは、自分の頭と意識にある「バリア」「障害」をフリーにしないとね。『えんとこ… https://t.co/HfIbeBV7x207/28 00:40 wataitakeharuhttps://t.co/d0LFSU7Y8R 「徴用工問題」のニュースは度々見聞きしていても、では「徴用工」の人たちのことをどれだけ知っているか。これはタイムリーなドキュメンタリー番組、全国ネットでの放送も期待しています。07/28 00:29
Twitterまとめ投稿 2019/07/26
wataitakeharuhttps://t.co/S8lTxG8qDk 京都アニメーションから、警察と報道に対して上記のような要請がされている。07/25 15:55
Twitterまとめ投稿 2019/07/24
wataitakeharu1992年細川護煕の「日本新党」が結成された直後の参院選でも、自民党は67議席(今回は57議席)、日本新党は4議席、そして投票率は50.7%と低調(今回とほぼ同じ)。しかし翌年の衆院選後、非自民党政権(細川護煕首相)が誕生した。と… https://t.co/ZnajtOha0507/24 00:31
Twitterまとめ投稿 2019/07/23
wataitakeharuIt is impossible for him. https://t.co/wwgo46UhST07/23 02:37 wataitakeharu選挙が終わったので、「選挙」の話じゃなくて、「政治と社会」の話を、あらためてしませう。自分にとっては、「改憲勢力」と「反社会勢力」は、ほとんど同じ扱いです。「日本社会にとって、危うい人たち」は、現在と今後の国会の中に「3分の2前後」いると思います。07/22 22:32 wataitakeharuたまに渋谷ロフト9で開催の「ドキュ・ナイト」、今月は2回目。≪相模原殺傷事件から3年≫というタイミングでの企画ですが、参院選の結果を受けて、「重度の障害」「難病」(候補者の紹介の際にメディア表記で必ず使われていたフレーズ)とは何か… https://t.co/EvuZZfwEmB07/22 21:08
Twitterまとめ投稿 2019/07/22
wataitakeharu昨日(20日・土)は、夕方から新宿と秋葉原に行った。どちらの場所で、どの政党の前で、どんな言葉が、何の旗が。観て聴いて判断して、投票でちゃんと選びましょう。まだ間に合いますよ。 https://t.co/QCP4T3G0fV07/21 17:47 wataitakeharu原稿は締切当日か、それを超えてから編集者に送ることが普通(すいません)。選挙はいつも、期日前投票か、午後7時から8時の間の終了間際に投票所に行くことが多いが、「僕は投票所に行って、午後7時59分59秒に投票用紙を投票箱に入れて、そ… https://t.co/VRM1o1WY5t07/21 15:47
Twitterまとめ投稿 2019/07/20
wataitakeharuhttps://t.co/Gj2pEwz8rN この記事の後半には、犠牲者名の公表について、「(京都)府警幹部は会見で、『被害者の人定がしっかりと確認できれば、節目節目で発表したい』と説明する」と記述。「節目節目」とはどんな区切り… https://t.co/qvM9U1HbU407/20 05:42 wataitakeharu久しぶりに個人ブログを更新。選挙に対する想いを書いてみました。≪「大人」だったら、投票しようぜ。≫ https://t.co/KviK7fgh4S07/20 04:54 wataitakeharu選挙取材のスペシャリスト・畠山理仁氏の分析。最後はこう締めくくっている。≪テレビ抜きのネット選挙が、どれほど現実に影響を与えられるのか──。山本太郎とれいわ新選組の戦いは、その試金石になるだろう。≫ 投票率次第で、その影響の「与え… https://t.co/FMuIJ1Whs807/20 03:47 wataitakeharuحريق اليابان.. ماذا حدث؟ https://t.co/BozlDZwNov07/20 02:31 wataitakeharuOh,Ms.Huda, Good Luck my friend! https://t.co/rkSgOIa6YQ07/20 02:25 wataitakeharu今の政治の話をタブー視していると、今の政治に自分たちの生活や自由や楽しみがどんどん奪われちゃうよ。「○○に政治を持ち込むな」と言ってると、逆に政治の方に○○が奪われちゃう。講談社「ViVi」の自民党タイアップ広告が、そうだと思う。… https://t.co/eCG30Z50AA07/19 17:08
「大人」だったら、投票しようぜ。
僕が幼稚園ぐらいの頃(1970年代)、大阪府で当時一緒に住んでいた祖母の投票について行った記憶がある。祖母は当時70代。近くの小学校の体育館が投票所だったが、お年寄りが歩くには20分ぐらいはかかる距離だったと思う。祖母と一緒に投票所まで、てくてく歩いた。当時の投票所は、今のようなおじいちゃんやおばあちゃんよりも、当時のニュータウンに住んでいる、おっちゃんやおばちゃんたちが多かったと思う。そこにいると、投票する人たちが、妙に「大人」に見えたものだ。
自分が初めて国政選挙に行ったのは、恐らく21歳(大学3年生)の1992年7月の参院選。当時は東京都民だったが、どこの政党の誰に投票したのか、全く覚えていない。この時、今では当然の「即日開票」が初めて実施されたことは、何となく覚えている。投票所入場整理券が郵便で届いて、それを持って投票所に行って、投票用紙に鉛筆で候補者の名前を書いて、それを投票箱に入れて、ようやく「少しは大人になった」気がした。
その年(1992年)は、5月に細川護煕の「日本新党」が結成されて、6月に「PKO協力法案」が強行採決・可決された。そして、9月には陸上自衛隊が初の海外派遣でカンボジアに向かった。その後、「佐川急便事件」での竹下登・金丸信の関与が明らかになった。翌年(1993年)に入ると、自民党を離党して新党を結成する政治家が相次ぎ、同年7月の衆院選挙後に初の非自民党政権(細川護煕首相)が誕生した。92年10月は、当時の天皇が初めて中国を訪問、戦時中の「反省」を述べた。93年8月には当時の河野洋平官房長官が、旧日本軍による慰安婦・慰安所への関与に謝罪や反省を述べた「河野談話」が発表された。
自分が初めて選挙に行った、1992年7月の参院選挙前から93年7月の衆院選挙後にかけては、政治の流動化から日本社会に大きな動きが起きていた。
選挙関係の取材でよく覚えているのは、インドネシアからの独立か残留かを問う住民投票が行われた1999年の東ティモールだ。夜明け前から投票所の前には長い列が出来た(以下写真2枚参照)。当時の投票率は、98・6パーセント!結果は独立派の圧勝だった(約8割を占めた)。しかし、開票発表後は騒乱状態に陥り、多数の住民が独立に反対する民兵らに虐殺された。僕の同僚で一緒に取材していたアグス・ムリアワン(享年26)も、民兵に殺害された。その後は、国連の暫定統治を経て、2002年に東ティモールは独立国家になった。それまで、ポルトガルの植民地支配やインドネシアの軍事占領によって、東ティモールで亡くなった多くの住民の悲願が、独立を願う一人ひとりの一票に注ぎ込まれたと思う。
「選挙」や「選挙運動」って、小さい頃から苦手だし、「政党」や「政治家」は今でも近寄りたくないという想いが強い。ただ、選挙後に行われる政治は、必ず社会や生活に影響する。選挙後の良い動きも悪い動きも、やはり選挙結果によって左右される。国会の中で政治に携わる人に対して、無関心無反応でいると、今のような暴言や差別発言を繰り返す議員や、強権的で独裁的な政党ばかりが、国会で多数の議席を占めることになるということが、この10年ぐらいの政治状況でよくわかった。そうした候補者や政党だけは、国会の中に居させてはならないと思っている。
≪5年前に書いた「選挙から遠く離れて」
https://watai.blog.so-net.ne.jp/2014-02-09 ≫
この国の政治に携わることに「ふさわしい人」は、自分で主体的に選ぶ(何となく選ぶ、ではなく)。そして、この国の政治に携わってはいけない「危うい人」は、自分で主体的に選ばない(何となく選ばない、ではなく)。僕が候補者や政党を選ぶ基準は、いつも「歴史認識」だ。それは、「この国が過去に犯した過ちをどう考えているか、この国が戦争に対してどのような方針や態度を取るか」という認識だ。 国会議員たちの普段の「活動・言動の危うさ」は、彼らの「歴史認識の危うさ」と連動・由来すると思って、いつも投票する。
選挙の時ぐらいは、「選挙の話」ではなく、「自分が暮らす社会の政治」の話をして、どんな政治や政治家がこの社会にふさわしいかを考えて、そして最後は自分で決める。そして投票後は、選ばれた政党や議員を監視して、時々ゴチャゴチャ言う。政治と市民の間に緊張関係が続けば、政党や政治家の暴言・差別発言、暴力的な政策や採決が少なくとも「減らせる」「思い留まらせる」「恥と思わせる」ことはできると思っている。そうすると、少なくとも政治が間違った方向には一気に流れず、時々修正や反省や議論をしながら、暴力的ではない、多数派の横暴が許されない、個人の尊厳や自由が尊重される社会が創られるのではないかと想像している。
そのためにも、投票することぐらいは、この国で暮らす上で、最低限しておきたい。選挙での投票は、この社会で暮らす「18歳以上で選挙権をもつ大人としての最低限の義務」だと思う。
Twitterまとめ投稿 2019/07/19
wataitakeharu私自身は、事件報道では基本的に、亡くなった方の名前や顔写真は必要だと考えている。ただし、それは「すぐに」ではなくても、「皆一律」でなくても構わない。ただ、誰が、どんな人が、どのような状況で亡くなったのか、名前や顔写真は、社会にとって重要な公共性・社会性のある情報だと考えている。07/19 05:26 wataitakeharu最近殺人事件や大事故が起きた時に、被害者の方の顔写真や名前が、すぐには報道されなくなった。以前ならば、顔写真と名前は真っ先に報道されたものだ。昨日の京都の放火事件でも、現時点で被害者の方の名前と顔写真は、一人も報道されてないように思う。今後どのような形で報道されるか、されないのか07/19 05:05 wataitakeharu過去30年レベルで最悪死者数の放火事件が起きた同日に、このニュース。 刑法犯は、年間では2003年から18年まで16年連続で減少、戦後最少を4年連続で更新。しかし、昨年の児童虐待被害(1394人)や、19歳以下の自殺者数が過去最多… https://t.co/stAtbWPiTS07/19 04:28