SSブログ

いつかどこかで…

▼以前、共同通信から配信したバグダッド報告原稿(全4回)を別のHPにアップしました。詳細は→http://www1.odn.ne.jp/watai/kyodo-baghdad.htm

▼松江哲明さんの映画「セキ☆ララ」上映(東京・下北沢)
http://d.hatena.ne.jp/matsue/
http://www.imagerings.jp/

※昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で話題を呼んだ作品「Identity 」が、ディレクターズカット版としてタイトルも改め「セキ☆ララ」となってついに劇場公開。彼のほかの作品も合わせていま上映されているが、特に「あんにょんキムチ」は必見。この機会にまとめて見逃すな。http://www.cinekita.co.jp/lineup/annyon.html

まだ告知はされていませんが、6月13日(火)の上映後トークは松江哲明監督×綿井健陽になっておりますので、こちらもよろしく。
http://www.cinekita.co.jp/

---------------------------------------------------------------

このところ以前僕が取材で訪れた国が、立て続けに揺れている。

97年から取材活動を始めたが、それで最初に訪れたのがスリランカだった。

約3ヶ月もの間あちこち回ったが、当時はまだ内戦の真っ只中で、各地で戦闘や襲撃事件が相次いでいた。おまけに内戦に関わる報道はどこの場所も「シャットアウト状態」で、まだ新米ペーペーの僕はあちこち回ったはいいが失敗ばかりで、政府軍兵士に捕まったり、警察署で一晩拘束されたりと散々だった。当時のことは共著で書いた本「アジアの傷 アジアの癒し」(風媒社)に記している。http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?KEYWORD=%83A%83W%83A%82%CC%8F%9D+%83A%83W%83A%82%CC%96%FC%82%B5

スリランカはしばらく停戦状態が続いていたが、このところタミル人の独立を求める組織「タミル・イーラム解放のトラ」の自爆攻撃や爆弾事件、さらにはスリランカ政府軍の空爆などで事態が悪化している。http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/sri_lanka/

それから東ティモールだ。99年~2000年にかけて、いまのイラク戦争のように何度も現地に入って、たくさんテレビ番組やリポートを制作、雑誌にも記事を書いた。僕がビデオジャーナリストになって最初の大きな「戦争」だった(その一部は別のHPに掲載している。http://www1.odn.ne.jp/watai/timor-kijiichiran.htm)。

02年に完全に独立国家として歩み始めたが、いまごろになって99年に起きた独立を巡る住民投票後の騒乱のような事態に陥った。http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/east_timor/ いま国連事務所に避難している人たちがたくさんいるようだが、僕も99年当時、やはり住民たちと一緒に最後は国連事務所に逃げ込んだ。当時はインドネシア軍と民兵による虐殺で多くの住民が亡くなった。僕の同僚アグス・ムリアワンも殺害された。http://www1.odn.ne.jp/watai/tuitou-agus.htm

そして、今度はインドネシアのジャワ島で大地震だ。http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/java_earthquake/?1148825079 インドネシアは98年のスハルト政権崩壊後、それまで占領下にあった東ティモール騒乱のほかにも、各地で混乱が続いて独立紛争や宗教対立が激化した。99年~2000年にかけて、アチェ独立紛争やマルク諸島宗教抗争の取材などで何度も訪れた。当時書いた記事の一部は別のHPに掲載しているhttp://www1.odn.ne.jp/watai/maruku-keisaikiji.htm

地震・台風・津波のような天災は人為的に防ぐことはできない。しかし、その被害は極めて差別的に起こる。特に貧しい地域で、建物・交通、インフラが整備されていない場所ではその後の救援もなかなか届きにくい。

内戦や対立は、外敵との「戦争」がいったん終わると、今度はその「内側」で始まることが多い。アフガンにせよ、ボスニアにせよ、レバノンにせよ、これまでも「最初の戦争」からその後に「内戦状態」「民族対立」が長く続いた国は多い。いまのイラクもその過程にある。しかし、そのほとんどはそれまで「住民同士の対立・抗争」なんて、ほとんどなかった国だ。多くは政治の権力抗争がだんだん武力抗争に発展し、そしてそれには関係ない住民同士も分断されて、「誰が敵で、誰が味方か」わからなくなり、対立はあちこちに飛び火していく。

イラクの「スンニ派とシーア派の対立」だって同じだ。これまでは双方ともに多くは「仲良く、混じりあって」暮らしてきた。「誰がスンニ派で、誰がシーア派」なんて、誰も気にしなかった。それがいまでは、「殺す、殺される理由」になる。詳しくは冒頭の共同通信から配信した原稿「嘆きのバグダッド」(中)「闇の中の内戦」をご覧下さい→http://www1.odn.ne.jp/watai/kyodo-baghdad.htm

いったん戦争で社会や生活基盤、さらには地域・民族・宗派の関係まで破壊されると、そこから立て直すのは本当に難しい。

このところ、映画の上映を通じて、河合塾の予備校生や10代後半ぐらいの人たちと話す機会が多かった。先日、九州の河合塾生の人たちと会ったら、「国連の職員になって、現場で難民の支援をしたい」「JICAに入って世界の開発援助に関わりたい」という人たちが何人かいた。以前、東ティモールで取材した伊勢崎賢治さん(現在、東京外語大大学院教授)みたいな人→http://www1.odn.ne.jp/watai/timor-chuoukouron.htm や、映画「リトルバーズ」に出てくる原文次郎さん(JVC)、佐藤真紀さん(JIM-NET)のような人たちが、日本からもっと何人も現れてくれればうれしいなあ。

言うまでもないが、その予備校生の人たちは別に映画を観たからそう思ったのではなくて、大学に入る前からちゃんと具体的な目標をもって受験勉強をしている。頼もしい。逆に僕が高校生ぐらいのころを考えると、本当に恥ずかしい。僕が10代後半のころは80年代後半~90年代だったが、結構世界は激動していた。しかし、ベルリンの壁崩壊、天安門事件、湾岸戦争、ソ連崩壊など、立て続けに起きた事件に対して、実はほとんど実感できなかった。

「遠い国の出来事だなあ」「戦争かあ。日本は平和だなあ」というアホな認識だった。

しかし、そうはいっても92年のカンボジアPKOでの自衛隊派遣が論議されたころは、さすがに「まさか自衛隊が海外に派遣されることはないだろう」と思っていたので、法案が可決されたときは驚いた。そして、ベトナム戦争の本や写真集をたくさん読んで、大学時代に実際にカンボジア、ベトナムを訪れた。92年当時の社会党(現社民党)は衆議院で100議席以上あり、翌年には非自民の細川政権が誕生するという、いまの政治状況からは想像もできない状況だった。今となっては、何だかまぼろしのようにさえ思えてくる。

でも、さっきの予備校生の人たちがもし10年後ぐらいに、国連でも、NGOでも、組織に関係なく、本当の意味での「国際貢献」や「人道支援」に携わる職業について、どこかの国の現場で会ったりしたら…と想像するだけでもワクワクする。いや、どこかの現場で新聞記者やカメラマン、フリージャーナリストになっている人だっているかもしれない。そしたら現場でお仕事の邪魔でもしてやろう(笑)。

実際、今年正月に放送したNHKの番組「課外授業 ようこそ先輩」http://www.nhk.or.jp/kagaijugyou/list/list20056.htmlで、撮影ロケに入る前に本当に驚いたことがあった。それはあの番組を現場で制作したプロダクション「東京ビデオセンター」http://www.tvc-net.com/の若い男性スタッフ(まだ彼はインターンだったので、現場では「ADのアシスタント」のような立場だったが)は、彼自身が小学6年生のときに、この「課外授業」の番組ロケが学校に来てその授業を受け、そしていまは実際にその番組作りに関わっているという!!

当時授業を受けた「先生」の方ではなく、取材に来ていた番組スタッフの人たちの姿を見て影響を受けたということか。僕の「課外授業」でも、終わってから生徒たちが書いてくれた感想の中に、「この3日間ありがとうございました。カメラマンの人も重たいカメラをずっと持ってしんどかったと思います…」と現場のスタッフの方に気遣いする女の子がいた。子どもたちはちゃんと大人たちを見ている。テレビの撮影ロケ現場では、本当にカメラマンがいちばん大変で、汗をいっぱいかくからなあ。

ひょっとして彼女も、10年後ぐらいにはあの番組のディレクターやカメラマンになっているかも。20年後ぐらいにはプロデューサーになって、どこかの現場で僕と会ったりするかも。そのときは、「綿井健陽?、あんた誰? いま何やってんの? 今度うちの番組で使ってあげてもいいけど~」と、タバコでも吸いながら軽く無視してくればさらにうれしい、いや悲しい(笑)。

よいことも、悪いことも、これまでも何度も書いてきたが、やはり「世界はつながっている」。

日本からジャワ島に向かった「国際緊急援助調査チーム」だが、これってもっと大規模にできないものなのか。こんなときに活動できる組織や即応部隊こそもっと整備できないものか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060528-00000036-jij-soci

98年にパプアニューギニア津波被害の取材に行ったとき、現地で会ったNGO「国境なき医師団」(MSF)の看護士が話していた。「我々はいち早く駆けつけて、最後まで現場に残る」。

…………………………………………………
綿井健陽 WATAI Takeharu
Homepage [綿井健陽 Web Journal]
http://www1.odn.ne.jp/watai

映画「Little Birds~イラク戦火の家族たち」
公式HP http://www.littlebirds.net/
DVD発売・各地で上映中
…………………………………………………


2006-05-29 06:28  nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(1) 

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証: 下の画像に表示されている文字を入力してください。

 
「広報」と「報道」栄文さんの世界 ブログトップ

このブログの更新情報が届きます

すでにブログをお持ちの方は[こちら]


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。