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「死刑反対の弁護団」VS「死刑を求める被害者遺族」?

「新聞は事件を報道する。テレビは事件を見せる」(「GALAC」98年9月号掲載「特集 ニュースが壊れてゆく」http://www.houkon.jp/galac/1998.html

門奈直樹・立教大教授(比較マスコミ論)が雑誌の座談会でそう話していた。

昨日広島から東京に戻ったが、今回の光市・母子殺害事件の裁判の報道に関してはこれが当てはまる。以前、安田好弘弁護士の講演を聞いたときも「この事件に関して言えば、テレビと新聞の報道は相当異なる」と話していた。前回「この事件に関する報道量の差は圧倒的だ」と僕は書いたのだが、どうやらその報道の量的部分とは異なる違いに気付いた。僕は殺人事件や裁判に関してはまったくの素人だが、いくつかわかったことがある。

裁判翌日(25日)朝のあるテレビニュース番組で、「死刑廃止論を法廷で主張する弁護団」というナレーション・テロップがあったのだが、果たしてそれは事実なのか?

ほかのテレビニュースもほとんどが、「死刑反対の弁護団」VS「死刑を求める被害者遺族」という構図の一点張りだ。しかし、よくよく彼らの発言を聞いてみると、実は安田さんも本村さんも「(法廷で)真実を明らかにしたい、(被告人に)真実を語ってほしい」というような部分も話していて、そこでは立場はまったく異なるが、ある種の共通点がある。

テレビでは安田弁護士を紹介するナレーション・テロップが、ほとんど「死刑反対運動のリーダー的存在」になっている。確かにそれは事実だが、この裁判における彼の立場で「その一点だけ」を何度も強調するのは、この裁判の本質と違うのではないかと感じている。そしてその出来上がった「前提」を受けて、本村さんやキャスター・コメンテーターが「裁判や被告人が死刑廃止運動に利用されているのではないか」ともってくる構成・流れで完結している。

安田さんは公判後の会見で「我々はラベリングされていると思うが、私たちは刑事弁護人としての責任を全うすること、法律を正しく公平に運用されること、事実・真実を求めている」と話していた。

裁判を傍聴した人の話や公判後の会見を聞くと、法廷では弁護団は、犯行当時の状況の意見書や、被告の新たな法医鑑定・精神鑑定の証拠採用、謝罪・反省への具体的取組みなどが話されたので、いわゆる「死刑廃止・回避の主張を法廷で展開する21人の大弁護団」では決してない。

実は昨日の公判後の会見で、ある記者が「安田さんの死刑廃止論の根拠を説明していただけませんか?」という質問が出たのだが、安田さんは「それはここで話すべき内容ではありません」と答えていた。メディアの方が「死刑廃止論」を何とか彼に語らせたい意思が見え隠れしている。

確かに僕自身も弁護団の主張する「犯行当時の状況」の説明には現時点では説得力がないと思っている。だが、裁判というのは基本的に双方の言い分を聞いてから、裁判長が法に照らし合わせて判決を下すわけだから、これからの裁判で様々なことがわかるはずだ。それまでは外からうかつな「論評」や「おしゃべり」はできない。いまは世の中みんな裁判長や検事になっている。

実はこの裁判の報道に関しては、東京の紙面ではさほど大きく扱っていないのだが、広島の地方版では詳しい記事がいくつも掲載されている。その中に驚いたことがあった。作家・佐木隆三さんの傍聴記だ(毎日新聞5月25日付=広島版)。全国版には掲載されておらず、ネット上でも閲覧できない。その中から以下いくつか抜粋して引用する

「わたしが驚いたのは、90年3月、東京地裁における宮崎勤裁判の初公判で、「母胎回帰」を聞いたからだ。宮崎勤死刑囚は、4人の幼女に出会ったときに甘い感じに浸り、気がついたら死体が横たわっていたと述べた。 4人目の被害者の頭蓋骨を奥多摩の山林内に捨てるとき、ピクニック気分で「ひょっこりひょうたん島」を歌ったそうで、今回の「ママゴト遊び」に酷似している。この幼児期への退行で殺害の故意もないから、殺人と強姦致死は成立しないと聞かされて、わたしは呆気にとられた。」

「もしかすると弁護団の主張が理解できないのは、わたしの老化現象かもしれない。そういう人間に傍聴記を書く資格はないから、被告人質問に全身全霊をこめて向かい合い、真実の発見に努めたいと思う。裁判員制度を目前にして、きわめて大切な裁判なのである」

裁判ウォッチの百戦錬磨の人が放つ言葉と視点は何とも独特だ。地元新聞メディアの報道を見ると、中国新聞の記者は「迅速審理を」と、被害者の側に沿った意見を書いているが、毎日新聞の記者は一面トップで「拙速は許されない」と逆の意見を述べている。「司法制度」のあり方に関する視点もあった。読売新聞の広島版では、「遺族、早期結審願う 弁護側は慎重な審理求める」という見出しの記事を掲載していたが、僕は初日の裁判の双方の主張は、これが最もよく現していると感じた。この事件をずっと取材してきた地元の記者たちはこの裁判を冷静に取材しつつ、そして分析してから、記者個人の意見もちゃんと表明しているように思う。

同じマスメディアでもテレビと新聞では「殺人事件・裁判報道」はやはり大きな差だ。しかし、受け取る側がつかむイメージは、テレビの方が強烈な印象を与える。でも、広島で会ったテレビディレクターの一人は加害者側をずっと取材している人だったから貴重な存在だ。

それから、被告本人はいま別の刑務所にいる無期懲役の元少年受刑者と文通をしているという。「彼を通じて罪と向かい合っている」とすれば、これは坂上香さんのドキュメンタリー映画「ライファーズ」http://www.cain-j.org/Lifers/contents.html のような取り組みかもしれない。

僕自身は、人間が殺人にいたる動機や経過はそもそもが「複雑怪奇」だと最近特に感じている。それは他の人には「理解不可能」かもしれない。あるいは「そもそも、そんなことを理解・解明する必要はない」という人もいるかもしれない。しかし、それでもこの裁判で「事件の事実」「被告人の言葉」にもう一度最初から迫ってほしいと思っている。

ともかく、この裁判の行方が今後の裁判、裁判員制度、司法のあり方、死刑制度だけでなく、この国の社会に与える影響は凄まじく大きい。そのことだけは間違いない。「死刑反対の弁護団」VS「死刑を求める被害者遺族」というテレビ的な単純な図式はいったん外してみる。そこから何かが見えるはずだ。阿蘇山大噴火さんhttp://www.nikkansports.com/general/asozan/top-asozan.html ではないが、自分なりにこの裁判を追うことにした。たとえ傍聴席に入れなくても、何かを自分でつかみたい。他も含めて犯罪事件や裁判の、特に報道に関することは今後も随時書いてみる。

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綿井健陽 WATAI Takeharu
Homepage [綿井健陽 Web Journal]
http://www1.odn.ne.jp/watai

映画「Little Birds~イラク戦火の家族たち」
公式HP http://www.littlebirds.net/
DVD発売・各地で上映中
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2007-05-26 11:54 

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