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「何と言やあええのかなあ」

▼TBS・デジタル放送「BSi」
5月4日(日)24時(5月5日午前0時)から放送。
『報道の魂』「光市母子殺害事件~もうひとつの視点」
http://www.bs-i.co.jp/app/program_details/index/KDT0702300

※4月20日にTBS(関東地区)でOAされた再放送です。TBS地上波系列局での再放送は未定(されないかも)。「BSi」はケーブルテレビ・CS放送などで見ることができます。

▼月刊「創」6月号(5月7日発売)
http://www.tsukuru.co.jp/
「光市母子殺害裁判~何も得られない死刑判決」文・綿井健陽

※22日の判決の日の夜に書いた原稿です。

▼映画「靖国」http://www.yasukuni-movie.com/
いよいよ5月3日から各地で上映開始
以前に記者会見をしましたが、それに関連して特設サイト http://www.eigayasukuni.net/ もオープンしました。

※公開まで紆余曲折がありましたが、まあ観てからゴチャゴチャ言いましょう。この映画の中には、公開前にゴチャゴチャ言ってきた稲田朋美議員も実は「出演」しています。僕は最初は知らなかったのですが、さて観た人は気づくでしょうか。

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このブログも皆様のおかげでわざわざ「炎上」させていただき、アクセス数が以前よりも格段に増えているので、なるべく更新するのがせめてもの「御礼」と言いたいところですが、あまりご期待には応じられません。

いまだ夜は悪夢にうなされて、昼は身体が鉛のように重いのですが、何とか前に進みたいと思います。

ところで、22日の広島高裁での判決文の中にこんな一説があります。

「被告人の新供述は信用できず、被告人の旧供述は信用できるから、これに依拠して第一審判決が認定した罪となるべき事実に事実の誤認はない」

他の部分を見ても、「1・2審までの供述が真実であり、それ以降の供述はすべて嘘である」というのが裁判所の結論と読み取れます。そして、「被告人は、第一審において、本件控訴事実を全面的に認める供述をし、遺族に対する謝罪の言葉を述べた」と書いてあります。

この差し戻し控訴審を通じても、メディア報道で何度も使われたフレーズは以下でした。「1・2審とは供述を一変させ…」「1・2審では起訴事実を争わず…」。

それらに対して僕は、「彼は1・2審では何を話していたのか、何を認めていたのか、いないのか」が気になったので、月刊「創」の昨年11月号で原稿を書きました。 http://www.tsukuru.co.jp/gekkan/0711.html 図書館やバックナンバーで入手して読んでくださいと言いたいところですが、ネットの世界で反応する人たちは基本的にネットの範囲でしか探さない方が多いので、その原稿の一部をPDF形式でアップしました。残りの本文はご自身で入手してください。→http://www1.odn.ne.jp/watai/tsukuru1.pdf

果たして「旧供述=真実、新供述=嘘」という単純な図式で理解していいのか?特に一審では彼の供述は非常にあいまいな答え方が目立ち、それに対して聞く方も深く聞いていない(むしろこちらが問題)。彼が起訴事実を全面的に認めているとは言い難く、一方で全面的に否認しているとも言えないというのが僕の感想です。念のために強調しておきますが、これらは「彼がいま振り返ってみて、一審のときにはこう話した」のではなく、実際に一審当時に話していたことです。

それから今回の判決文の中には、旧2審の弁護人が国選弁護人になって(00年)から、最高裁での弁論の期日(06年3月)が指定されるまでの間に296回もの接見をしている。旧2審の弁護人がそれほどの回数の接見を被告人と重ねて、さらに「親代わり」として、衣服や現金の差し入れを行っている。そんな立場の人になぜ、「新供述」を話せなかったのかが不自然だという。

そもそもまず、彼の一審の弁護人は家庭内暴力を受けた父親が頼んだ私選弁護人でありました。父親は被害者遺族からの告訴も受けており、事実関係を争わず、なるべく早く裁判を終わらせるように当時の弁護人に要請していました。彼の弁護人ではなく、父親の方の弁護人であったといえるでしょう。2審の弁護人は、絶縁状態となっていた父親の親代わりのような存在であったことは本人も法廷で確かに述べています。

しかし、この「親代わり」というところがポイントです。弁護人ではなかった。当時の弁護人は幼い彼に事実関係を聞くのは困難と思っていた。また2審のときの裁判の争点は彼が友人に出した手紙の内容がほとんどであり、事件の実行行為や動機に関する事実関係を彼に接見で聞く必要もほとんどない。敬虔なキリスト教徒である元少年に対して、接見では一緒に賛美歌を歌ったりしたという。父親が子供の様子を見る、顔を見るような感覚での接見だったと思われます。したがってそれぞれの接見時間が極めて短い(弁護人接見の時間は基本的に無制限にもかかわらず)。

そして彼は最高裁の弁論が始まる06年2月、新しい弁護人と出会う。彼が「新供述」を話す経緯は先週の「AERA」『現代の肖像」に書いたのでそちらを読んでほしい(私の原稿料に加算されるわけではないので、まあ買ってください)。http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=9366 「新供述」は弁護人には初めて話すことであっても、それ以前に出会った教誨師には同じようなことを話している。これも重要なポイントです。事件直後の鑑別所の調査・記録などにも、「新供述」と同じような表現が出てくる。

果たして「旧供述」と「新供述」はまったく別のものなのか?

我々が普段経験するような会社の上司・同僚関係、家の中の家族関係、友人関係を考えてみても、たくさん会っているから、いつも会っているから何でも告白・相談するのであろうか。そのような単純な間柄で人間社会は成り立っているのだろうか。もしそうだとすれば、なぜこの国はこれほど自殺が多いのだろう。自殺する人の多くは誰にも重要なことは話せず、一人で悩みを抱え込んで自らの命を突然絶つケースが相当多い。そして残された人はなぜ相談してくれなかったのか、言ってくれなかったのかと後から悔やむ。後から本人がいかに苦しんでいたのかに気づくことも数多い。親や家族だから逆に話せない、いつも会っている同僚や友人だから逆に話せないことだって数多い。家庭内暴力や学校・職場でのいじめなどはまさにそうではないか。

人間はそう簡単に何でも話すことはできない。話すことができる環境や相手とは、それまでの時間・間柄・関係では決まらないこともある。ましてや彼は2人の人間を殺害しているわけである。どうやって人間を殺害したのか、そのときどんなことを考えていたのかを思い出すこと自体が苦しい。それは今でも同じで、「思い出したくない事実」である。その苦しいことに対して、彼に一つ一つを聞き出す人がいなかった、そして彼が一つ一つ話すことができる相手がそれまでいなかったとしても不思議ではない。

第一審の第4回公判(99年11月17日)の被告人質問。
検察官からなぜ遺体を押入れや天袋に入れたのかを何度も強引に決め付けるように聞かれて、彼は答えに窮した。そして当時18歳の元少年は最後にこう答える。

検察官「(遺体を)隠すことになるんでなくて、隠したんでしょう。どうなの?」
元少年「何と言やあええのかなあ…」

彼が話したことが「虚偽弁解」と裁判所からみなされたいま、彼はまた獄中で同じようにつぶやいているかもしれない。

「何と言やあええのかなあ」

私も同じ気持ちでR。

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綿井健陽 WATAI Takeharu
Homepage [綿井健陽 Web Journal]
http://www1.odn.ne.jp/watai

映画「Little Birds~イラク戦火の家族たち」
公式HP http://www.littlebirds.net/
DVD発売・各地で上映中
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2008-05-02 02:47 

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